実家の片づけで手が止まるとき
実家じまいと言葉にならない気持ち
週末ごとに新幹線で実家に通い、押し入れを開ける。出てくるのは、母の着物、父の釣り道具、子どもの頃の通知表、誰が使っていたのかわからない食器の山。「全部捨てていいからね」と言っていた母は、いざゴミ袋に入れようとすると「それはまだ使う」と取り出してしまう。弟は「急がなくてもいいだろう」と言うばかり。気づけば、段ボール一箱を前に、一時間も座り込んでいた。実家の片づけが進まないのは、時間や体力が足りないからだけではありません。手が止まるその瞬間、心の中では言葉にならない気持ちが動いています。親の家を片づける40〜60代の方に向けて、実家じまいと心の整理の進め方をお伝えします。
結論:手が止まるのは「体力」ではなく「感情」のサイン
結論からお伝えします。実家の片づけで手が止まるのは、あなたが優柔不断だからでも、片づけが下手だからでもありません。一つの物を手に取ったとき、そこには懐かしさ、親への感謝、罪悪感、もったいなさ、そして「この家がなくなる」というさみしさが、いっぺんに押し寄せています。感情が多すぎて名前がつかないとき、人の手は自然と止まるのです。
この記事のポイントは3つです。
- 物には、持ち主の人生と自分の思い出が宿っている。だから物を手放すことは、自分の一部を手放すように感じられる。手が止まるのは心の自然な反応。
- 親が片づけを嫌がるのにも、きょうだいが反対するのにも、目的がある。アドラー心理学の目的論で見ると、「まだ使う」「急がなくていい」という言葉の下にある気持ちが見えてくる。
- 決めるのは「要る・要らない」ではなく「自分はどうしたいか」。課題の分離で誰が何を決めるのかを整理すると、自分で選ぶ自己決定感が育ち、後悔の少ない実家じまいができる。
背景にあるのは、心理学でアレキシサイミア(失感情症)と呼ばれる状態です。感情に気づき、見分け、言葉にすることが難しい状態のことで、病名ではなく、一般の人の約10〜16%に強い傾向が見られる特性の濃淡です。親の老いや死に向き合う時期には、一時的にこの傾向が強まることもあります。中島輝の近刊『感情を言語化すれば人生はうまくいく 感情迷子さんの本』では、こうした状態にある人を「感情迷子さん」と呼んでいます。基本についてはアレキシサイミア(失感情症)とはをご覧ください。
実家じまいに向き合う40〜60代は、仕事、子どもの進学や独立、自分自身の体の変化、そして親の介護が重なる時期でもあります。「やるべきこと」が多すぎて、自分の気持ちに目を向ける余裕がない。だからこそ、片づけの手が止まった瞬間は、置き去りにしてきた気持ちに気づくための大切なサインでもあるのです。
数字と研究で見る実家じまい
実家の片づけや空き家の問題は、いまや多くの家庭に共通するテーマです。あわせて、物と心の関係を明らかにしてきた研究を紹介します。
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 空き家 約900万戸 | 全国の空き家は約900万戸、空き家率は13.8%で、いずれも過去最多(2023年) | 総務省「住宅・土地統計調査」(令和5年) |
| 相続登記の義務化 | 2024年4月から、不動産を相続したときの登記の申請が義務になった。実家をどうするかを先送りしにくくなっている | 不動産登記法の改正(法務省) |
| 保有効果 | 人は、自分が持っている物を、持っていない同じ物より高く評価しやすい | Kahneman, Knetsch & Thaler(1990) |
| 拡張された自己 | 持ち物は、その人のアイデンティティの一部として感じられる | Belk(1988) |
| あいまいな喪失 | はっきりした区切りのない喪失は、悲しみを感じにくく、心の整理が難しい | Boss(1999) |
| 感情のラベリング | 感情に名前をつけると、不安や恐れに関わる扁桃体の活動が下がる | Lieberman et al.(2007) |
空き家が約900万戸という数字は、「片づけきれない実家」「決めきれない実家」が、全国にそれだけあることの表れでもあります。その一軒一軒の中で、誰かが押し入れの前で手を止め、言葉にならない気持ちを抱えているのかもしれません。
行動経済学者のカーネマン(Kahneman)らが示した「保有効果」は、人が自分の持ち物を手放しにくい理由の一つを説明します。同じマグカップでも、自分のものになった途端に、手放すときに求める価格が上がる。これは、損をしたくないという心の働きです。親の物となれば、そこには金銭的な価値以上のものが加わります。
消費者研究者のベルク(Belk)は1988年、人は持ち物を「拡張された自己」として感じていると論じました。愛用の品、集めてきた物、思い出の品は、その人の一部のように感じられる。だから、親の物を処分することは、親の一部を、そして親と過ごした自分の一部を手放すように感じられるのです。
片づけているのは、物ではなく、
親と自分が生きてきた時間。
手が止まるのは、心がそれを知っているから。
思い出の品を前に手が止まる理由|物は「もう一人の自分」
そこから一歩も進めなくなって」
思い出の品は、単なる「物」ではありません。そこには、親が生きてきた時間と、自分がその家で過ごした時間が刻まれています。古い写真、通知表、手紙、親の愛用品。手に取った瞬間、記憶と感情がいっぺんによみがえり、「捨てる・残す」という判断ができなくなってしまうのです。
手が止まったときに起きている感情
| 手に取った物 | 心の中で動いている感情の例 |
|---|---|
| 子どもの頃の写真・通知表 | 懐かしさ、親に大切にされていた実感、過ぎた時間へのさみしさ |
| 親の手紙・日記 | 知らなかった親の一面への驚き、読んでいいのかという戸惑い |
| 親の愛用品(眼鏡・時計・道具) | 親がそこにいるような感覚、手放すことへの罪悪感 |
| 大量の未使用品・贈答品 | 「もったいない」という気持ち、親の暮らしぶりへの複雑な思い |
| 使い込まれた家具・食器 | 家族の団らんの記憶、家がなくなることへの悲しみ |
こうして分けてみると、手が止まるのは「どうしていいかわからない」からではなく、「感じていることが多すぎる」からだとわかります。感情に一つずつ名前をつけていくと、判断は少しずつできるようになります。
「要る・要らない」ではなく「気持ち」で分ける
片づけの本の多くは、「要る物」と「要らない物」に分けることをすすめます。けれども、実家の思い出の品は、その二つにきれいには分けられません。そこで、物ではなく、自分の気持ちで分ける方法をおすすめします。
大切なのは、④の「いまは決めない箱」をためらわずに使うことです。決められないことは、失敗ではありません。まだ感情が言葉になっていないというサインです。日付を書いて一箱にまとめ、時間をおいてから開けると、「今なら手放せる」と思える物が意外と多いことに気づきます。
親が生前の片づけを嫌がる理由|目的論で見る親の気持ち
親が元気なうちに一緒に片づけを進めたい。そう思って話を切り出したのに、「まだ早い」「勝手に捨てないで」と強く拒まれた経験はないでしょうか。物があふれた家で転ばないか心配で言っているのに、どうしてわかってくれないのか。子どもの側には、もどかしさと怒りと、心配が入り混じります。
私は長年、アドラー心理学をベースにカウンセリングを行ってきました。オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラー(1870〜1937)の考え方に、「目的論」があります。人の行動や感情は、過去の原因によって決まるのではなく、何かの目的のために使われていると考える見方です。この視点で、親の「片づけたくない」を見てみましょう。
親にとって、生前の片づけは「人生の終わりの準備」を突きつけられるような体験になりやすいものです。物を手放すことは、自分の役割や、まだ何かができる自分を手放すことのように感じられる。「まだ使う」という言葉は、「まだ私は、自分の暮らしを自分で決められる人間でいたい」という願いの表れなのかもしれません。
そう考えると、親を説得するより先にできることが見えてきます。「捨てよう」ではなく、「この道具、どんなときに使っていたの?」と、物にまつわる話を聞いてみる。親が自分の人生を語る時間を持てると、物への執着が少しずつほどけていくことがあります。そして、「転んだら心配だから、通り道だけ一緒に片づけさせて」と、子どもの側の気持ちを「私は心配している」と伝えること。理由ではなく気持ちを伝えると、親も受け取りやすくなります。
親の体や暮らしの心配が大きくなっている場合は、介護の視点もあわせて考えてみてください。離れて暮らす親との関わりについては遠距離介護の記事でも扱っています。
きょうだいで意見が分かれるとき|課題の分離と「共同の課題」
実家じまいでは、きょうだいの間で意見が分かれることも少なくありません。「早く売ったほうがいい」と言う兄。「思い出の家を手放したくない」と言う妹。「任せるよ」と言いながら、決めたことにあとから文句を言う弟。実家の近くに住む人と遠くに住む人で、負担の差に不公平感が生まれることもあります。
『勝手に捨てた』と言われて」
「誰の課題か」を整理する
アドラー心理学の「課題の分離」は、岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』で広く知られるようになった考え方です。「その選択の結果を最終的に引き受けるのは誰か」で、自分の課題と他者の課題を分けていきます。そして、自分だけでは決められず、複数の人で話し合う必要があるものは「共同の課題」として扱います。
| 誰の課題か | 実家じまいでの例 |
|---|---|
| 親の課題 | 親が元気なうちは、自分の持ち物をどうするか、どこで暮らすか |
| 自分の課題 | 自分がどれだけ時間と労力を出せるか、どの思い出の品を引き取るか |
| きょうだいの課題 | きょうだいがどう感じるか、どれだけ関わるか |
| 共同の課題(話し合う) | 実家を売るか・貸すか・残すか、費用の分担、片づけの進め方 |
きょうだいの間でこじれやすいのは、共同の課題を誰か一人が背負ってしまうときです。片づけを一人で進めた人は「自分ばかり」と感じ、関われなかった人は「勝手に決められた」と感じる。どちらも、言葉にならない気持ちを抱えています。
きょうだいで話すときの3つの工夫
「物の話」の前に「気持ちの話」をする
何を残し、何を手放すかを決める前に、「この家がなくなることを、どう感じている?」と、それぞれの気持ちを聞く時間をとります。気持ちが共有されてはじめて、物の話が進みます。
「私は」を主語にして伝える
「お兄ちゃんは何もしない」ではなく、「私は、一人で決めるのが心細かった」。相手を責める言葉ではなく、自分の気持ちを伝える言葉を選ぶと、相手も本音を話しやすくなります。
「残してほしい物リスト」を先に出し合う
片づけを始める前に、それぞれが「これだけは残してほしい」という物を3つずつ書き出して共有します。思い出の品をめぐる後悔やけんかを、ぐっと減らすことができます。
遺品を片づけるときの、言葉にならない悲しみ
親を見送ったあとの遺品の片づけは、生前の片づけとはまた違う重さがあります。葬儀や手続きに追われているうちは、悲しむ余裕さえなかった。ようやく落ち着いて実家に戻り、親の服や手帳に触れたとき、はじめて涙があふれるという方も少なくありません。
反対に、「親が亡くなったのに涙が出ない」「片づけを淡々と進めている自分は冷たいのではないか」と悩む方もいます。けれども、涙が出ないのは、悲しみがないからではありません。大きな喪失を前に、心が自分を守るために、感じる回路を一時的に絞っていることがあるのです。それは心の弱さではなく、生き延びるための自然な反応です。
遺品の片づけで起きやすい感情
- 親の字や匂いが残る物に触れたとき、急に悲しみがこみ上げる
- 「もっと話を聞いておけばよかった」という後悔が何度も浮かぶ
- 親の知らなかった一面(手紙、日記、趣味の品)に触れて戸惑う
- 物を処分するたびに、親を「もう一度失う」ような気持ちになる
- 片づけが終わることが怖く、わざと先延ばしにしてしまう
最後の「片づけが終わることが怖い」という気持ちに、心当たりのある方もいるのではないでしょうか。ここにも、目的論の視点が役に立ちます。片づけを先延ばしにすることには、「親との別れを、まだ終わらせたくない」という目的が隠れていることがあります。そう気づけたら、自分を責める必要はありません。「私は、まだお別れしたくないんだな」と、その気持ちに名前をつけてあげてください。
遺品の片づけを急がなくていい場合は、四十九日や一周忌などの節目を目安に、少しずつ進めるのも一つの方法です。賃貸の退去など期限がある場合は、思い出の品だけを先に別の場所に移し、残りを業者に任せるという選択もあります。悲しみの感じ方や、死と向き合うことについては「死ぬのが怖い」を誰にも言えないあなたへでも扱っています。
空き家になった実家と「さよならのない別れ」
親が施設に入った、子どもの家に移った、あるいは親が亡くなったあと、誰も住まなくなった実家。売るにも貸すにも決めきれず、月に一度、風を通しに通い続けている方もいるでしょう。
アメリカの家族療法家ポーリン・ボス(Boss)は、はっきりした区切りのない喪失を「あいまいな喪失(ambiguous loss)」と呼びました。たとえば、認知症で親が「そこにいるのに、以前の親ではない」状態や、行方がわからない家族を待ち続ける状態です。区切りがないため、悲しんでいいのかどうかもわからず、心の整理が進みにくくなります。
空き家になった実家にも、この「あいまいさ」があります。家はそこにある。けれども、もう家族が暮らす「家庭」ではない。親が存命のうちに実家をたたむときは、なおさらです。親は生きているのに、親と過ごした場所はなくなる。誰も亡くなっていないのだから悲しんではいけない、と気持ちを押し込めてしまいやすいのです。
中島輝より一言
私には、5歳のときに「家」が突然なくなった経験があります。育ててくれた里親が夜逃げをし、それまで当たり前にあった暮らしが、ある日を境に消えてしまいました。そのとき私は、さみしいとも、悲しいとも言えず、感情を出すことをやめました。いまならわかります。家を失うことは、それだけで大きな喪失なのだと。実家じまいで心が揺れるのは当然のことです。どうか「悲しんでいい」と、自分に許してあげてください。
家に「さよなら」を言う時間をつくる
あいまいな喪失には、自分で区切りをつくることが助けになります。家を手放す前に、家族で最後に集まって食事をする。家の中を一部屋ずつ歩いて、写真や動画に残す。柱の傷や庭の木に「ありがとう」と声をかける。形式は何でもかまいません。家にさよならを言う時間をつくることで、言葉にならなかった気持ちに、ひとつの区切りがつきます。
実家じまいのための感情の言語化ワーク|自己決定感を育てる
自己肯定感の「6つの感」を一本の木にたとえると、実家じまいと特に深く関わるのが、花にあたる「自己決定感」です。自己決定感は、「自分のことは自分で決めている」という感覚です。
実家じまいでは、親の意向、きょうだいの意見、業者の見積もり、近所の目など、たくさんの声に囲まれて判断をしなければなりません。そのため、「本当は残したかったのに、言い出せずに処分してしまった」「きょうだいに押し切られて売ることになった」という後悔が残りやすいのです。自分の気持ちがわからないまま決めると、どんな結論になっても「自分で選んだ」とは感じにくくなります。
反対に、自分の気持ちを言葉にしてから決めたことは、たとえ手放す選択でも、後悔が少なくなります。書籍原稿のワークを、実家じまいの場面に合わせてアレンジして紹介します。
心の体温チェック:押し入れを開ける前に
片づけを始める前に、3秒だけ立ち止まり、「いまの心の温度は、あたたかい? ふつう? つめたい?」と自分に聞きます。「つめたい」日は、思い出の品には手をつけず、食器や日用品など気持ちが動きにくい物だけにする。その日の心に合わせて、片づける物を選びます。
3段階温度計:手に取った物への気持ちを測る
手が止まった物について、「ちょっと・そこそこ・すごく」の3段階で、気持ちの強さを測ります。「すごく」と感じた物は、無理に判断せず「いまは決めない箱」へ。「ちょっと」の物から手放していくと、片づけのリズムが生まれます。
感情ことば帳:その日の気持ちを一語で残す
片づけが終わったら、その日の気持ちを一語だけ手帳やスマホに書きます。「懐かしい」「くたびれた」「さみしい」「ほっとした」。実家じまいは長い道のりです。一語ずつ残していくと、自分の気持ちの移り変わりが見え、「少しずつ受けとめられてきた」と実感できます。
未来日記:実家じまいを終えた自分を「気持ち」で書く
「実家じまいを終えたとき、私はどんな気持ちでいたいか」を書きます。「母のレシピで作った料理を、子どもと食べて笑っている、あたたかい気持ち」のように、望む気持ちを書くのがポイントです。それが、何を残し、何を手放すかを決めるときの、あなた自身の軸になります。
何を残すかを決めるのは、
物の値段でも、きょうだいの声でもない。
あなたの心が「大切」と言うもの。
業者や専門家の力を借りるとき
実家の片づけを、すべて家族だけでやりきる必要はありません。遠方に住んでいる、仕事が忙しい、体力的に難しい、そして気持ちの面でどうしても手がつけられない。そんなときは、専門の業者や専門家の力を借りることも、立派な選択です。
| 相談先 | どんなときに |
|---|---|
| 遺品整理や生前整理の業者 | 物の量が多い、遠方で通えない、気持ちの面で自分では手をつけにくいとき。複数社から見積もりをとり、思い出の品の扱い方を事前に確認する |
| 司法書士・税理士など | 相続登記、相続税、不動産の名義など、法律や税金の手続きが必要なとき |
| 自治体の空き家相談窓口 | 空き家の管理や活用、売却・解体について相談したいとき |
| 地域包括支援センター | 親が一人暮らしで、片づけとあわせて暮らしや介護の相談が必要なとき |
業者に任せることに、罪悪感を抱く方もいます。「自分の手でやらないのは、親に申し訳ない」と。けれども、大切なのは誰が運び出すかではなく、どんな気持ちで送り出すかです。思い出の品だけは自分で選び、残りを任せる。作業の前に、家族で家に「ありがとう」を伝える時間をとる。そうした小さな工夫で、任せることも「自分で決めた実家じまい」になります。
なお、業者を選ぶときは、見積もりの内容や追加料金の有無、買い取りや処分の方法を事前にしっかり確認してください。気になることがあれば、消費生活センター(消費者ホットライン188)に相談することもできます。
よくあるご質問
「いま、私は何を感じている?」
その問いが、後悔の少ない実家じまいへの一歩です。
気持ちを言葉にしてはじめて、心も整っていきます。
自分を大切にしよう
実家じまいは、物を片づける作業であると同時に、親が生きてきた時間と、自分がその家で過ごした時間に向き合う、心の作業でもあります。全国に約900万戸の空き家があるという数字の向こうには、押し入れの前で手を止め、言葉にならない気持ちを抱えている人たちがいます。手が止まるのは、あなたが優柔不断だからではなく、物に宿った思い出と感情が、それだけ大きいからです。
思い出の品は、「要る・要らない」ではなく、気持ちで分ける。親の「まだ使う」の下にある目的と感情に目を向け、説得より先に物の話を聞く。きょうだいとは、誰の課題か、共同の課題は何かを整理し、物の話の前に気持ちの話をする。遺品や空き家をめぐる「さよならのない別れ」には、自分で区切りの時間をつくる。そうした小さな言葉の積み重ねが、「自分で選んで決めた」という自己決定感を育て、後悔の少ない実家じまいにつながっていきます。
仕事や家庭を抱えながら、親の家に通い、一つひとつの物と向き合ってきたあなたは、本当によく頑張っています。その頑張りを、「なかなか進まない」と自分を責めることには使わないでください。「今日は段ボール一箱だけ。でも、母のレシピ帳に『ありがとう』と言えた」。その一言で十分です。自分を大切にしよう。家がなくなっても、その家で育まれた思い出とぬくもりは、あなたの中に残り続けます。
本記事の参考資料・科学的根拠
- 中島輝『感情を言語化すれば人生はうまくいく 感情迷子さんの本』(近刊)原稿
- 中島輝・自己肯定感アカデミー「アレキシサイミア 感情の鈍麻:失感情」講座資料
- Taylor, G.J., Bagby, R.M., & Parker, J.D.A. (1997). Disorders of Affect Regulation: Alexithymia in Medical and Psychiatric Illness. Cambridge University Press.(邦訳『アレキシサイミア―感情制御の障害と精神・身体疾患』星和書店)
- 総務省「令和5年住宅・土地統計調査」
- 法務省「相続登記の申請義務化」(不動産登記法の改正、2024年4月施行)
- Kahneman, D., Knetsch, J.L., & Thaler, R.H. (1990). Experimental tests of the endowment effect and the Coase theorem. Journal of Political Economy, 98, 1325-1348.
- Belk, R.W. (1988). Possessions and the extended self. Journal of Consumer Research, 15, 139-168.
- Boss, P. (1999). Ambiguous Loss: Learning to Live with Unresolved Grief. Harvard University Press.
- Lieberman, M.D. et al. (2007). Putting feelings into words: Affect labeling disrupts amygdala activity in response to affective stimuli. Psychological Science, 18, 421-428.
- アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』
- 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)

自己肯定感の第一人者である中島 輝と共に、自己肯定感の重要性を多くの人に伝えるために活動中。講師としての登壇経験が多く、自己肯定感をはじめとするセラピー・カウンセリング・コーチングの知識が豊富。メディアサイト「自己肯定感ラボ」を通じ、誰もが輝いて生きていくための情報を発信中。







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