怒号の厨房で感情を殺してきた料理人へ
飲食の現場と感情の言語化
金曜の夜8時、伝票が10枚たまり、フライヤーの音と「まだか!」の声が重なる。皿を落とした瞬間に飛んでくる怒鳴り声に、体だけが先に「すみません!」と答える。営業が終わってまかないを食べても、味がしない。厨房で怒鳴る人も、怒鳴られて黙る人も、本当は同じように「感情の置き場」をなくしているのかもしれません。修業の文化、長時間労働、人手不足。飲食の現場で凍りついた気持ちを、アドラー心理学と研究の知見から言葉にほどいていきます。
結論:厨房の怒号は「熱意」ではなく「感情の置き場がない」サイン
結論からお伝えします。厨房で飛び交う怒鳴り声の多くは、料理への熱意そのものではなく、焦りや恐れ、疲れといった感情が言葉にならないまま噴き出したものです。そして、怒鳴られ続けた料理人は、心を守るために「何も感じない」状態へと少しずつ入っていきます。怒鳴る側も、怒鳴られる側も、感情の扱い方を教わってこなかったという点では同じなのです。
この記事のポイントは3つです。
- 怒号は「伝える技術」として効率が悪い。強い叱責を受けた人は、萎縮して手が止まり、ミスを隠すようになる。ピークタイムほど、怒鳴ることは店の損失になる。
- 怒りの下には、別の感情がある。アドラー心理学の目的論で見ると、怒りは「相手を早く動かしたい」「自分の不安を打ち消したい」という目的のために使われていることが多い。
- 感情を言葉にする時間を、仕込みと同じ「仕事」にする。営業後の5分の振り返りや、「助かった」の一言が、若い料理人の自己効力感を育て、離職を減らす土台になる。
ここで使う心理学のキーワードが、アレキシサイミア(失感情症)です。感情がないのではなく、感情に気づき、見分け、言葉にすることが難しい状態のことで、病名ではありません。一般の人の約10〜16%に強い傾向が見られる、誰もが持つ特性の濃淡です。中島輝の近刊『感情を言語化すれば人生はうまくいく 感情迷子さんの本』では、こうした状態にある人を「感情迷子さん」と呼んでいます。基本はアレキシサイミア(失感情症)とはにまとめています。
もともとは感情豊かな人でも、毎日のように強い叱責を浴び、休みなく働き続ける環境にいると、心は自分を守るために感じる回路を絞ります。強いストレスによる一時的なこの反応は、専門的には「2次性アレキシサイミア」と呼ばれます。厨房で「気づいたら何も感じなくなっていた」という料理人は、弱いのではありません。心が、その場を生き延びるために賢く働いた結果なのです。
料理が好きだったかどうかも、わからなくなりました」
数字で見る飲食の現場|離職・長時間労働・ハラスメント
飲食の現場の「つらさ」は、個人の根性の問題ではなく、業界の構造と深く結びついています。公的な統計や制度から、確かなところを整理します。
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 離職 | 産業別に見ると「宿泊業,飲食サービス業」の離職率は、毎年もっとも高い水準にある | 厚生労働省「雇用動向調査」 |
| 長時間労働 | 外食産業は、過労死等の防止に向けて重点的に調査・対策を行う業種の一つとされている | 「過労死等の防止のための対策に関する大綱」(厚生労働省) |
| パワハラ防止 | 職場のパワーハラスメント防止措置が事業主の義務に。大企業は2020年6月、中小企業は2022年4月から | 労働施策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法) |
| 感情のラベリング | 感情に名前をつけると、不安や恐れに関わる扁桃体の活動が下がる | Lieberman et al.(2007) |
| 約10〜16% | 一般の人のうち、アレキシサイミア傾向が強いとされる人の割合 | TAS-20等を用いた複数の疫学研究 |
ここで注目したいのは、「人が辞める」「長時間働く」「強い言葉が飛ぶ」が互いに強め合っていることです。人が辞めると、残った人の負担が増える。負担が増えると、ピークタイムの余裕がなくなり、言葉が荒くなる。言葉が荒くなると、また人が辞める。この循環の真ん中にあるのが、誰も自分の感情を言葉にできていないという状態です。
パワハラ防止法によって、「どなる」「人格を否定する」「長時間しつこく叱る」といった言動は、どの規模の店でも防止措置の対象になりました。法律の線引きは大切ですが、それだけでは厨房は変わりません。怒鳴ることをやめた先で、焦りや不安をどこに置くのか。そこまで手当てしないと、怒号は「無視」や「舌打ち」に形を変えて残ります。
人が辞める厨房には、
言葉にならない感情が
行き場をなくして渦巻いている。
「見て覚えろ」「怒られて一人前」が感情を凍らせるしくみ
日本の料理の世界には、長く受け継がれてきた師弟関係の文化があります。親方の背中を見て技を盗み、厳しく叱られながら一人前になっていく。そこには、職人の誇りや、技を守ってきた歴史があります。ただ、その文化の中に、感情を言葉にしないことを「美徳」とする考え方が混ざっていることにも目を向けたいのです。
「泣くな」「言い訳するな」が残すもの
修業中の料理人がよく言われる言葉に、「泣くな」「言い訳するな」「口より手を動かせ」があります。どれも、現場を回すためには一理ある言葉です。しかし、これを毎日浴び続けると、心の中では「感じたことを口に出すと怒られる」→「感じないほうが楽」という学習が進みます。
原稿の仮名事例に、50代の経営者ケンジさんがいます。ケンジさんは子どものころ「泣くのは無能の証拠」と教えられて育ち、感情に興味を向けないことで、自分を守ってきました。厨房で育った多くの料理長も、同じように「感情は仕事の邪魔」と教わってきた世代です。だから、若い料理人がつらそうにしていても、どう声をかけていいかわからない。自分自身がそうやって声をかけてもらったことがないからです。
感情の4つのタイプで見る厨房
中島輝の近刊では、感情迷子さんを4つのタイプに分けています。厨房の場面に当てはめると、次のようになります。
| タイプ | 厨房でよくある姿 | 土台になる「感」 |
|---|---|---|
| タイプ1「感情がわからない」 | 怒られても「別に」。休日も何をしたいかわからない | 自尊心≒自己存在感(根) |
| タイプ2「感情を説明できない」 | 「すみません」しか出てこない。失敗の理由を聞かれて固まる | 自己受容感(幹) |
| タイプ3「感情に興味がない」 | 「気持ちとかいいから、手を動かせ」。段取りと数字だけで人を見る | 自己信頼感(葉) |
| タイプ4「想像できない」 | 「自分の店を持つ」夢が描けない。新しいメニューの発想が出ない | 自己決定感(花) |
興味深いのは、料理の世界では味や香り、火の入り方といった繊細な感覚には誰よりも敏感な人が、自分の心の動きには驚くほど鈍くなっていることが珍しくない点です。舌の解像度は高いのに、心の解像度が低い。これは才能の問題ではなく、訓練の向け先の問題です。感覚を磨いてきた料理人だからこそ、心の感覚も練習で磨き直せます。
中島輝より一言
私は子どものころ、育ててくれた里親が夜逃げをしたことをきっかけに、感情を出すのをやめました。中学のバスケットボール部で試合に勝っても、一人だけ無表情でした。だから「怒られても何も感じない」という料理人の言葉を聞くと、胸が痛みます。感じないのは、感じる力がないからではなく、感じたら崩れてしまいそうだったから。その守り方には、ちゃんと理由があります。そして、安全な場所が見つかれば、感情は少しずつ戻ってきます。
ピークタイムの心と体|伝票がたまるとき何が起きているか
飲食の現場には、ほかの仕事にはあまりない特徴があります。ランチやディナーのピークタイムに、短時間で強いストレスが集中することです。オーダーが重なり、火口がふさがり、ホールから「お客様がお待ちです」と声が飛ぶ。そのとき、体の中では何が起きているのでしょうか。
体は「戦うか逃げるか」のモードに入る
強い緊張を感じると、心拍が上がり、呼吸が浅くなり、視野が狭くなります。これは危険に備える体の自然な反応です。この状態では、細かな言葉を選ぶ余裕がなくなり、「早く!」「何やってんだ!」のような短く強い言葉が出やすくなります。怒鳴る人の多くは、怒っているというより、体が警報を鳴らしたまま言葉を発しているのです。
一方、怒鳴られた側の体も同じ警報モードに入ります。すると、手が震える、頭が真っ白になる、いつもできている作業でミスをする。怒鳴り声は、相手の能力をいちばん発揮しにくい状態に追い込むという意味で、ピークタイムの効率を下げてしまいます。
ピークが終わったあとの「空白」
ピークタイムを乗り切ると、急に体の力が抜け、何も考えられなくなる時間が来ます。この空白の時間に、多くの料理人はたばこやエナジードリンク、スマホで気持ちを紛らわせます。それ自体が悪いわけではありません。ただ、ピークのあいだに生まれた悔しさや恐れが、名前をつけられないまま積み重なっていくと、ある日突然「もう無理だ」という形で表に出てきます。
感情は、生まれたその日のうちに言葉にしてあげると、比較的軽いまま手放せます。Lieberman ら(2007)の研究では、感情に名前をつけるだけで、不安や恐れに関わる扁桃体の活動が下がることが示されました。営業後の短い時間に「今日はあの瞬間、焦った」と言葉にすることは、気休めではなく、脳の働きにもとづいた後片づけなのです。
- ピークの最中、自分の呼吸が浅くなっていることに気づかない
- 営業後、まかないの味がしない、または食べる気がしない
- 休日は寝て終わり、好きだったことに気持ちが向かない
- 朝の仕込み中に、理由のわからない動悸や手の震えがある
- 家族やパートナーに仕事の話をしなくなった
- 後輩に強い言葉を言ったあと、自分でも驚くことがある
3つ以上当てはまる場合は、感情の後片づけが追いついていないサインかもしれません。眠れない、食べられない、動悸が続くといった状態が長く続くときは、心療内科などの医療機関に相談してください。
怒鳴る人の怒りは何のため?|アドラーの目的論で見る厨房
私は長年、アドラー心理学をベースにカウンセリングをしてきました。アルフレッド・アドラー(1870〜1937)は、オーストリアの精神科医です。アドラー心理学の大きな特徴の一つが、「目的論」という見方です。人の感情や行動は、過去の原因によって押し出されるのではなく、何かの目的のために使われていると考えます。
コーヒーをこぼされて大声を出す人
岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』には、喫茶店でウェイターにコーヒーをこぼされ、思わず大声で怒鳴ってしまった青年の話が出てきます。青年は「カッとなって、つい」と言いますが、哲人は「大声を出すという目的が先にあり、そのために怒りという感情をつくり出した」と説明します。ウェイターを屈服させ、自分の言うことを聞かせるための手段として、怒りが使われたというのです。
これを厨房に置きかえると、見えてくるものがあります。料理長が若手に怒鳴るとき、その怒りは何のために使われているのでしょうか。
| 怒鳴る場面 | 怒りの「目的」として考えられること | 怒り以外の伝え方 |
|---|---|---|
| 盛り付けが遅い | 相手を早く動かしたい。自分の焦りを相手に移したい | 「あと2分で3番卓。付け合わせ先にお願い」 |
| 同じミスを繰り返す | 自分の指導が届かない無力感を打ち消したい | 「どこで手が止まった? 一緒に段取りを見よう」 |
| 口答えされた | 上下関係を確かめ、自分の立場を守りたい | 「言い分はわかった。営業後に5分聞かせて」 |
| 店が回らない | 人手不足の不安を、目の前の誰かにぶつけたい | 「今日は人が足りなくて俺も焦ってる。助けてほしい」 |
目的論は、怒鳴る人を責めるための考え方ではありません。むしろ、「怒りは選べる道具の一つにすぎない」と気づくことで、ほかの道具を選べるようになるという希望の考え方です。怒りという道具は、速く相手を動かせるように見えて、相手の萎縮や離職という大きな代償を払います。「焦っている」「助けてほしい」と自分の感情を言葉にすることは、怒鳴るよりずっと強い伝え方なのです。
怒鳴られる側にとっての目的論
目的論は、怒鳴られる側にも役立ちます。相手の怒りが「自分を早く動かすための道具」だとわかると、その怒りは自分の価値を否定するものではないと切り分けやすくなります。「この人はいま焦っている。怒りはその焦りの道具だ」と心の中で言葉にするだけで、言葉の刺さり方が少し変わります。
もちろん、人格を否定する言葉や、物を投げる、体に触れるといった行為は、目的が何であれ許されるものではありません。パワハラにあたる行為を受けたときは、店の外の相談先(都道府県労働局の総合労働相談コーナーなど)に相談することも、自分を守る大切な選択です。
怒りは、感情ではなく「道具」として使われる。
道具なら、別の道具に持ちかえられる。
「焦ってる」「助けて」も、立派な道具。
怒鳴らずに育てる|勇気づけで若い料理人を伸ばす
「怒鳴らないで、どうやって育てるのか」。これは、多くの料理長や店のオーナーが本音で抱く疑問です。自分は怒鳴られて育ったし、それで一人前になれた。そう感じている方ほど、ほかのやり方が想像しにくいのは自然なことです。
アドラー心理学が示すのは、「ほめる」でも「叱る」でもない、「勇気づけ」という第三の道です。ほめることも叱ることも、上の立場の人が下の人を評価する「縦の関係」から出てくる言葉です。勇気づけは、相手を対等な仲間として見る「横の関係」から、「ありがとう」「助かった」「あなたがいて心強い」と、相手が貢献してくれたことへの自分の気持ちを伝える関わり方です。
厨房で使える勇気づけの言葉
「早いな」ではなく「先にやってくれて助かった」
スピードを評価する「早いな」は、遅い日には評価が下がる不安を生みます。「先に玉ねぎを切っておいてくれて助かった。おかげで火入れに集中できた」と、相手の行動が自分にどう役立ったかを伝えると、相手は「自分はこの厨房の役に立っている」と感じられます。
「何やってんだ」ではなく「どこで手が止まった?」
ミスの原因を責める言葉は、相手を「次は隠そう」という方向へ向かわせます。「どこで手が止まった?」「そのとき何が気になってた?」と過程と感情を聞くと、本人がミスの構造に気づきやすくなります。答えが出てこなくても、待つことが大切です。
「お疲れ」に一言だけ足す
「お疲れ」で終わらせず、「今日のピーク、あの3番卓の盛り付けがきれいだった」「洗い場が回ってて助かった」と一つだけ具体的に伝えます。毎日一人に一つで十分です。具体的な一言が、若い料理人にとっては技術以上の支えになります。
上の人が先に「焦った」と言う
料理長が「今日は正直、焦った。声が強くなって悪かった」と言えると、厨房に「感情を言葉にしていい」という空気が生まれます。弱みを見せることは威厳を失うことではありません。感情を言葉にできる上司の下でこそ、部下は安心してミスを報告できます。
ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソン(Edmondson, 1999)は、ミスや懸念を口に出しても罰せられないと感じられる「心理的安全性」がチームの学習を促すことを示しました。厨房でいえば、「火を入れすぎた」「在庫を切らしそう」と早く言える店ほど、大きな失敗を防げます。怒鳴り声の飛ぶ厨房では、ミスは隠され、気づいたときには手遅れになります。
人手不足に悩む店にとって、これは経営の話でもあります。「この厨房なら続けられる」と感じてもらえることが、求人広告よりも確かな採用力になります。若い料理人が辞めていく理由を「根性がない」で片づけず、店の言葉の使い方を見直すことが、人が残る店への一歩です。
営業後の5分で感情を言葉にする|厨房でできるワーク
感情を言葉にする練習は、特別な時間をつくらなくても始められます。中島輝の近刊で紹介しているワークを、厨房の一日の流れに合わせて作り直しました。一人でも、店のみんなでもできるものです。
仕込み前の「心の体温チェック」
コックコートに袖を通したら、3秒だけ目を閉じて、「今日の心の温度は何度くらい?」と自分に聞きます。「冷えてる」「ぬるい」「ちょっと熱い」でかまいません。体温を測るように心の状態を測っておくと、ピークタイムに自分がどれだけ揺れたかに気づきやすくなります。
ピーク後の「3段階温度計」
ピークが落ち着いたら、「さっきのイライラは、弱・中・強のどれだった?」と振り返ります。数字で言うのが楽な人は、0〜10の目盛りでもかまいません。感情を「ある・ない」ではなく「どのくらい」で見ると、言葉にするハードルがぐっと下がります。
まかないの時間に「今日のオノマトペ」
まかないを食べながら、今日の気持ちを「バタバタ」「ヒヤッ」「ジリジリ」「ホッ」のような音で言い合います。料理人は「シャキッ」「とろっ」といった食感の言葉に慣れているので、気持ちのオノマトペにも入りやすいはずです。感情の名前が出てこなくても、音なら出てきます。
帰り道の「感情が動いた瞬間日記」
帰りの電車や自転車をこぐ前に、スマホのメモに「①何があった ②体はどうなった ③気持ちに名前をつけると」を1行ずつ書きます。たとえば「①ソースを焦がした ②顔が熱くなった ③恥ずかしい、悔しい」。出来事を書くのが得意な人ほど、感情の欄が空いていることに気づくはずです。空いていてもかまいません。気づいたことが第一歩です。
店のみんなでやるなら「一言チェックアウト」
営業後の片づけが終わったら、全員で円になって、「今日いちばん心が動いた瞬間」を一人一言ずつ話します。「満席が続いてヒヤッとした」「常連さんに『おいしかった』と言われてうれしかった」。時間は全員で5分以内。評価やダメ出しはしない、話したくない人は「パス」と言ってよい、というルールだけを決めておきます。
最初はぎこちなくても、続けるうちに「あの人はピークで焦るタイプなんだ」「あの子は常連さんの言葉で救われているんだ」と、お互いの感情が見えるようになります。感情が見える厨房では、怒鳴らなくても声が届くようになります。
味見をするように、
一日の終わりに心を「味見」する。
5分の振り返りが、明日の厨房を変える。
「できた」を積み重ねる店へ|自己効力感(枝)を伸ばす仕組み
自己肯定感の「6つの感」は、木にたとえることができます。根にあたる自尊心≒自己存在感、幹にあたる自己受容感、枝にあたる自己効力感、葉にあたる自己信頼感、花にあたる自己決定感、実にあたる自己有用感です。料理人にとって特に大切なのが、「自分はやればできる」と感じられる自己効力感です。
怒鳴られ続ける厨房では、この枝がなかなか伸びません。できたことより、できなかったことばかりが言葉にされるからです。どれだけ技術が上がっても、「まだまだだ」「そんなもんか」と言われ続けると、技術はあるのに自信がない料理人が育ちます。独立や店長を任されたとき、その自信のなさが一気に表に出てきます。
自己効力感を育てる4つの源
心理学者のアルバート・バンデューラ(Bandura, 1977)は、自己効力感が育つ源として次の4つを挙げました。厨房に当てはめてみます。
この4つのうち、店の仕組みで変えやすいのは①達成体験と③言葉による励ましです。たとえば、まかないを「一品まるごと任せる日」をつくる。賄いを食べたスタッフが一言ずつ感想を伝える。小さな「できた」に言葉がつくことで、枝は少しずつ太くなっていきます。
経営者・オーナーにできること
- ピークタイムの人員配置を見直し、「怒鳴らないと回らない」状態をつくらない
- パワハラにあたる言動の線引きを、店のルールとして言葉にして共有する
- 料理長自身が感情を話せる相手(オーナー、同業の仲間、専門家)を持てるようにする
- 営業後の5分の振り返りを、片づけと同じ「業務」として時間に含める
- 「辞めたい」と言われたとき、引き止める前に「何がいちばんしんどかった?」と聞く
店長の役割や接客の感情労働については、別の記事でもくわしく扱っています(店長と感情の言語化)。厨房と客席は、感情の流れでもつながっています。厨房の空気がやわらぐと、皿に乗る料理も、客席の空気も変わります。
よくあるご質問
焦り、恐れ、悔しさに名前がつけば、
厨房は怒鳴らなくても回りはじめる。
心の感覚も、きっと磨き直せます。
自分を大切にしよう
厨房の怒鳴り声は、多くの場合、料理への熱意そのものではなく、焦りや失敗への恐れ、疲れや人手不足への不安が、言葉にならないまま噴き出したものです。そして怒鳴られ続けた料理人は、心を守るために「何も感じない」状態へと入っていきます。それは弱さではなく、その場を生き延びるための心の賢い働きです。離職の多さや長時間労働、パワハラ防止法の整備が示すように、これは個人の根性の問題ではなく、業界全体で向き合うべき課題でもあります。
アドラー心理学の目的論で見ると、怒りは相手を早く動かしたり、自分の不安を打ち消したりするための道具として使われています。道具なら、ほかの道具に持ちかえられます。「焦っている」「助けてほしい」と自分の感情を言葉にすること。ほめるでも叱るでもなく、「助かった」「ありがとう」と横の関係から勇気づけること。営業後の5分で今日の心を振り返ること。こうした小さな積み重ねが、若い料理人の自己効力感という枝を伸ばし、人が残る厨房をつくっていきます。
そして、ここまで読んでくださったあなた自身も、長い時間、感情を飲み込みながら火の前に立ってきたのだと思います。まずは今夜、帰り道に一言だけ「今日はあの瞬間、焦ったな」とつぶやいてみてください。それだけで、凍っていた感情に少し熱が戻ります。自分を大切にしよう。料理を愛してきたあなたの心は、ちゃんとまだそこにあります。
本記事の参考資料・科学的根拠
- 中島輝『感情を言語化すれば人生はうまくいく 感情迷子さんの本』(近刊)原稿
- Taylor, G.J., Bagby, R.M., & Parker, J.D.A. (1997). Disorders of Affect Regulation: Alexithymia in Medical and Psychiatric Illness. Cambridge University Press.(邦訳『アレキシサイミア―感情制御の障害と精神・身体疾患』星和書店)
- 厚生労働省「雇用動向調査」(産業別離職率)
- 厚生労働省「過労死等の防止のための対策に関する大綱」
- 労働施策総合推進法(職場のパワーハラスメント防止措置)
- Lieberman, M.D. et al. (2007). Putting feelings into words: Affect labeling disrupts amygdala activity in response to affective stimuli. Psychological Science, 18(5), 421-428.
- Edmondson, A. (1999). Psychological safety and learning behavior in work teams. Administrative Science Quarterly, 44(2), 350-383.
- Bandura, A. (1977). Self-efficacy: Toward a unifying theory of behavioral change. Psychological Review, 84(2), 191-215.
- アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』
- 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)
- 中島輝・自己肯定感アカデミー「アレキシサイミア 感情の鈍麻:失感情」講座資料

自己肯定感の第一人者である中島 輝と共に、自己肯定感の重要性を多くの人に伝えるために活動中。講師としての登壇経験が多く、自己肯定感をはじめとするセラピー・カウンセリング・コーチングの知識が豊富。メディアサイト「自己肯定感ラボ」を通じ、誰もが輝いて生きていくための情報を発信中。







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