理不尽な言葉を飲み込み続けるあなたへ
カスタマーハラスメントと感情の言語化
「責任者を出せ」と30分間どなられた電話を切って、数秒後には次の着信に「お電話ありがとうございます」と明るい声で出る。窓口で何度も同じ説明を求められ、最後に「使えないな」と言い捨てられても、頭を下げて見送る。家に帰っても、あの声が耳の奥に残っている。カスタマーハラスメント対策は、マニュアルを整えるだけでは終わりません。受けた人の心に残った感情を言葉にして手放す時間と、それを支える組織の仕組みが必要です。厚生労働省のマニュアル、東京都の条例、社会学者ホックシールドの「感情労働」の研究、そしてアドラー心理学を手がかりに、理不尽な言葉を飲み込み続けてきたあなたの心の守り方をお伝えします。
結論:カスハラ対策は「ルール」と「感情の後始末」の両輪で進める
結論からお伝えします。カスタマーハラスメント(カスハラ)から働く人を守るには、「どこからがカスハラか」「どう対応を打ち切るか」というルールと、受けてしまった人の感情を言葉にして手放す「感情の後始末」の両方が欠かせません。どちらか片方だけでは、現場の人は守られません。
この記事のポイントは3つです。
- 理不尽な言葉は、飲み込んでも消えない。言葉にならないまま残った怒りや恐れは、体の不調や、家族へのいらだち、「何も感じない」という感情のマヒとなって表に出てくる。
- 相手の怒りを「理解」することと「引き受ける」ことは別。アドラー心理学の目的論と課題の分離を使うと、相手の怒りの目的を見抜きながら、自分の心の境界線を守ることができる。
- 感情の後始末は、個人の努力ではなく組織の仕組みにする。電話を切ったあとの短い切り替え、SVへの報告の言葉、チームのデブリーフィング(振り返りの対話)を、業務として位置づける。
背景にあるのは、心理学でアレキシサイミア(失感情症)と呼ばれる状態です。感情に気づき、見分け、言葉にすることが難しい状態のことで、病名ではなく、一般の人の約10〜16%に強い傾向が見られる特性の濃淡です。中島輝の近刊『感情を言語化すれば人生はうまくいく 感情迷子さんの本』では、こうした状態にある人を「感情迷子さん」と呼んでいます。基本についてはアレキシサイミア(失感情症)とはをご覧ください。
ここで大切なのは、もともと感情を言葉にするのが得意な人でも、理不尽な言葉を毎日のように浴びる環境にいると、心を守るために「感じないようにする」スイッチが入りやすくなるということです。強いストレスから心を守るための一時的な反応は、専門的には「2次性アレキシサイミア」と呼ばれます。つまり、カスハラの現場で気持ちが凍っていくのは、あなたが弱いからではなく、心が自分を守ろうとしている結果なのです。
数字と制度で見るカスタマーハラスメント
カスハラは、ここ数年で「個人の我慢の問題」から「社会と組織が取り組む課題」へと位置づけが大きく変わりました。押さえておきたい制度と研究を整理します。
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 国のマニュアル | 企業向けに、カスハラの考え方、想定される言動、社内体制の整え方、相談対応、従業員のケアなどを整理した手引き | 厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」(2022年) |
| 自治体の条例 | カスハラの禁止を定め、顧客・就業者・事業者それぞれの責務を示した条例 | 東京都カスタマー・ハラスメント防止条例(2025年4月施行) |
| 感情労働 | 客室乗務員などへの調査から、「感情を管理すること」自体が仕事として求められ、働く人の心に負担をかけることを示した | A.R.ホックシールド『管理される心』(1983年) |
| 感情のラベリング | 感情に名前をつけると、不安や恐れに関わる扁桃体の活動が下がる | Lieberman et al.(2007) |
| 約10〜16% | 一般の人のうち、アレキシサイミア傾向が強いとされる人の割合 | TAS-20等を用いた複数の疫学研究 |
厚生労働省のマニュアルでは、カスハラを、顧客などからの要求の内容が妥当かどうかに照らして、その要求を実現するための手段や態様が社会通念上ふさわしくないもので、働く人の就業環境が害されるもの、という考え方で整理しています。ポイントは、「要求の中身」と「要求の伝え方」を分けて見ることです。商品に不具合があったという正当な申し出であっても、どなる、長時間拘束する、土下座を求める、といった伝え方は、ふさわしくない手段にあたりうる、という整理です。
東京都の条例は2025年4月に施行され、自治体がカスハラの防止に正面から取り組む流れをつくりました。こうした動きは、「お客様の言うことは我慢して聞くのが仕事」という考え方が、もはや当たり前ではなくなったことを示しています。
カスハラは、あなたの対応力の問題ではない。
社会と組織が向き合うべき課題として、
ルールが整えられはじめている。
ただ、制度ができても、受けた言葉の痛みがその場で消えるわけではありません。マニュアルには「従業員への配慮」や「相談対応」も含まれていますが、現場では「ルールどおりに対応できたかどうか」ばかりが確認され、対応したあとの心がどうなっているかは置き去りにされがちです。この記事では、そこに焦点を当てます。
「感情労働」とは何か|笑顔の裏で心がすり減るしくみ
アメリカの社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは、1983年の著書『管理される心』で「感情労働」という考え方を示しました。肉体労働が体を、頭脳労働が頭を使うように、自分の感情を管理し、相手にふさわしい表情や声を差し出すこと自体が仕事になっている働き方のことです。ホックシールドは、客室乗務員などへの聞き取りから、その実態を描き出しました。
コールセンター、カスタマーサポート、店舗、役所や病院の窓口。こうした仕事は、まさに感情労働の最前線です。どんな言葉を浴びても、声のトーンを保ち、相手に寄り添う姿勢を崩さない。それが「よい対応」とされます。
表層演技と深層演技
ホックシールドは、感情労働のやり方を2つに分けて説明しました。
| 表層演技 | 深層演技 | |
|---|---|---|
| やり方 | 内心では怒りや恐れを感じながら、表情や声だけを整える | 「この人も困っているんだ」と自分の感じ方そのものを変えようとする |
| 心の中 | 感じていることと、見せていることがずれる | 本当の気持ちが、だんだん自分でもわからなくなる |
| 続くと | ずれを抱え続ける疲れがたまる | 自分の感情から切り離された感覚が生まれやすい |
どちらも、仕事として必要な技術です。問題は、それが休みなく続くことです。ホックシールドは、感情を管理し続けることで、自分が本当は何を感じているのかがわからなくなる危険を指摘しました。これは、アレキシサイミアの「感情を見分けにくい」状態と重なります。
接客や美容の仕事で「笑顔でいなければ」という縛りに疲れる問題は接客・美容の仕事と感情の言語化でも扱いました。カスハラの現場が特に厳しいのは、笑顔を保つことに加えて、敵意や攻撃を正面から受けとめなければならない点です。心にかかる負荷は、ふだんの接客とは比べものになりません。
理不尽な言葉を飲み込むと何が起きるか|体と心のサイン
あの人の声が頭から離れないんです」
理不尽な言葉を受けたとき、心の中では確かに何かが動いています。けれども、その場で感じ切ることは許されません。すると感情は、名前のないかたまりのまま残り、別の形で表に出てきます。次のようなサインがいくつ当てはまるか、確かめてみてください。
- 着信音や「すみません」という呼びかけに、体がビクッと反応する
- 対応が終わってしばらく、手が冷たい、心臓がドキドキする、胃が重い
- 家に帰っても、あの言葉を何度も思い返してしまう
- 家族や友人の何気ない一言に、必要以上にイライラする
- 休日になっても疲れがとれず、何をしても楽しいと感じない
- 「最近、何も感じなくなった」「どうでもいい」と思うことが増えた
- 同僚がつらい対応をしていても、気の毒だと感じなくなってきた
- 出勤前になると、腹痛や頭痛が出る
特に注意したいのは、「何も感じなくなった」というサインです。強いストレスが続くと、心は痛みから自分を守るために、感じる回路を一時的に絞ります。これはつらさが減ったのではなく、つらさを感じないようにしている状態です。この状態が長引くと、うれしいことや楽しいことまで感じにくくなります。
眠れない、食欲がない、気分の落ち込みが2週間以上続くといった場合は、心身の不調のサインかもしれません。我慢を続けず、職場の産業保健スタッフや医療機関に相談してください。厚生労働省の働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」でも、相談先を探すことができます。
中島輝より一言
私は5歳のとき、育ててくれた里親が夜逃げをするという経験をしました。そのとき以来、私は感情を出すのをやめました。泣いても、怒っても、どうにもならない。だったら感じないほうが楽だ、と。理不尽な言葉を黙って飲み込む人の気持ちが、私には少しわかる気がします。ただ、長い年月をかけて学んだのは、飲み込んだ感情は消えるのではなく、心の奥でずっと出口を探しているということでした。だからこそ、あなたには、飲み込んだものを言葉にして外に出す時間を持ってほしいのです。
相手の怒りは何のため?|アドラーの目的論で見るカスハラ
私は長年、アドラー心理学をベースにカウンセリングを行ってきました。オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラー(1870〜1937)の考え方の柱の一つに「目的論」があります。人の行動や感情には「原因」だけでなく「目的」がある、という見方です。
アドラー心理学では、怒りは、相手を思いどおりに動かすために使われる道具という側面を持つと考えます。大きな声を出すと、相手がひるんで言うことを聞く。そうした経験を重ねた人は、怒りを「効く道具」として使いやすくなります。
カスハラの怒りに見られる目的
理不尽な怒りをぶつけてくる顧客の行動を、目的論の視点で見ると、次のような目的が見えてくることがあります。
| 見える行動 | 考えられる目的 |
|---|---|
| 大声でどなる、威圧する | 相手をひるませて、要求を通す |
| 「責任者を出せ」と繰り返す | 自分を重要な存在として扱わせる |
| 同じ話を何時間も続ける | 相手を支配し、優位に立っている感覚を得る |
| 人格を否定する言葉を浴びせる | 自分の中の無力感や不満を、目の前の相手で埋め合わせる |
もちろん、相手の心の中を正確に知ることはできません。ここで大切なのは、相手を分析して裁くことではなく、「この怒りは、私という人間の価値を測っているのではなく、相手が何かを得るために使っている道具なのだ」と理解することです。そう見えるだけで、言葉が心に刺さる深さが少し変わります。
理解しても、受け入れる必要はない
誤解しないでいただきたいのは、相手の怒りの目的を理解することは、その怒りを受け入れることとはまったく別だということです。目的が見えたからといって、我慢して聞き続ける理由にはなりません。むしろ、「怒りという道具を使っても、要求は通らない」という一貫した対応をとることが、相手にとっても、あなたにとっても、健全な線引きになります。
相手の怒りは、あなたの価値の点数ではない。
相手が何かを得るために使っている道具。
そう見えた瞬間、心に少し距離が生まれる。
目的論は、自分自身の感情にも使えます。対応のあと、胸の中に残っている怒りは「何のため」に出ているのでしょうか。多くの場合、それは「私は不当に扱われた。自分の尊厳を守りたい」という、大切な目的を持っています。あなたの怒りは、あなたを守ろうとしているのです。だから、その怒りを恥じる必要はありません。
「それは誰の課題か」|課題の分離で自分を守る
アドラー心理学のもう一つの柱が「課題の分離」です。岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』で広く知られるようになった整理で、「その選択の結末を最終的に引き受けるのは誰か」を考え、自分の課題と他者の課題を分けていきます。
カスハラの場面では、真面目な人ほど、すべてを自分の課題として背負い込んでしまいます。「相手を怒らせたのは自分の説明が悪かったから」「相手の機嫌を直すまでが自分の仕事」。けれども、課題を分けてみると、背負わなくてよいものが見えてきます。
| 誰の課題か | 内容 |
|---|---|
| あなたの課題 | 誠実に話を聞くこと。事実を確認し、できること・できないことを伝えること。ルールに沿って対応を区切り、上司に報告すること |
| 相手(顧客)の課題 | 自分の怒りをどう扱うか。どんな言葉を選ぶか。説明を受け入れるかどうか |
| 組織の課題 | 対応を打ち切る基準を決めること。担当者を一人にしないこと。受けた人のケアの時間と場をつくること |
相手が怒りを鎮めるかどうかは、最終的には相手の課題です。あなたが誠実に対応しても、相手が怒り続けることはあります。それは、あなたの対応が失敗したということではありません。「私は自分の課題を果たした。相手の怒りは、相手の課題だ」と言葉にしてみると、心の荷物を少し下ろすことができます。
そして、見落とされがちなのが組織の課題です。カスハラから働く人を守ることは、本来、組織が引き受けるべき責任です。厚生労働省のマニュアルでも、企業が方針を明確にし、相談体制や対応の手順を整えることが求められています。現場の人が一人で抱え込んでいるとしたら、それは組織の課題が個人に押しつけられている状態です。
課題の分離は、冷たく突き放すための考え方ではありません。むしろ、自分の課題に責任を持つからこそ、他人の課題まで抱え込まずにすむという、自分を大切にするための考え方です。
電話を切ったあとの「切り替え」|1分でできる感情のリセット
現場の人からよく聞くのが、「次の電話までの間がほとんどない」「すぐ次のお客様が待っている」という声です。だからこそ、短い時間でできる切り替えの型を持っておくことが大切です。書籍原稿のワークを、カスハラの現場向けにアレンジして紹介します。
5秒ルール:受話器を置いたら、すぐに次を取らない
対応が終わったら、5秒だけ何もしない時間をつくります。その5秒で、「いま、私の中で何かが動いている」と気づくだけで十分です。可能であれば、職場のルールとして「つらい対応のあとは、少しだけ受付を止めてよい」と決めておくと、罪悪感なく使えます。
感情タイムアウト:息を吐ききる
3秒かけて息を吐く、を3回くり返します。吐く息を長くすることが、高ぶった体を落ち着かせる手がかりになります。息を吐きながら、肩の力が抜けていくのを感じてみてください。
心の体温チェック:いまの気持ちに名前をつける
胸に手を当てて、「いまの私は何度くらい?」と問いかけます。そして、「怒っている」「怖かった」「悔しい」「情けない」と、浮かんだ気持ちに名前をつけます。感情に名前をつけると扁桃体の活動が下がるという研究(Lieberman et al., 2007)があります。言葉にすることそのものが、心を落ち着かせる働きを持つのです。
感情ことば帳:手元のメモに一語だけ書く
付箋やメモに、いま名前をつけた気持ちを一語だけ書きます。「悔しい」「疲れた」「こわかった」。書いた付箋は、終業時に捨ててかまいません。書くことで、頭の中を回り続ける感情を、いったん外に置くことができます。
3段階温度計で「報告が必要かどうか」を決める
名前をつけた気持ちの強さを、「ちょっと・そこそこ・すごく」の3段階で測ってみてください。「ちょっと」なら、付箋に書いて次の対応へ。「そこそこ」なら、休憩時間に同僚やSVに一言話す。「すごく」なら、その場でSVに報告し、少し席を外す。こう決めておくと、自分の感情を基準に、助けを求めるタイミングを判断できるようになります。
気持ちを切り替えるとは、
感情をなかったことにすることではない。
名前をつけて、いったん外に置くこと。
SVへの報告は「事実+気持ち」で|報告の言葉とチームのデブリーフィング
カスハラを受けたあと、SV(スーパーバイザー)や上司への報告は、多くの場合「何があったか」という事実だけで終わります。もちろん、事実の記録は対応の判断に欠かせません。けれども、報告の中に「自分がどう感じたか」が一言も入らないと、受けた人の感情は行き場をなくしたままになります。
報告の4行テンプレート
報告のときは、次の4行を意識してみてください。
③の「気持ち」を言うのは、最初は勇気がいるかもしれません。「この程度で怖がるなんて、と思われないか」。けれども、気持ちを言葉にすることは弱さではなく、自分の状態を正確に伝えるという、プロとしての報告の一部です。
SV・責任者の受けとめ方
報告を受ける側にも、大切なポイントがあります。
- 最初の一言は「大変だったね」「よく対応してくれたね」。対応の良し悪しの評価は、あとで落ち着いてからでよい。
- 「あなたの対応が悪かったのでは」と受けとれる質問を、最初にしない。報告した人が「言わなければよかった」と感じると、次から報告が上がらなくなる。
- 気持ちの言葉をそのまま返す。「怖かったんだね」と映し返すだけで、本人の感情は言葉として受けとめられる。
- 具体的な支援を一つ決める。休憩をとる、同じ顧客からの対応を交代する、記録を一緒に整理する。
チームのデブリーフィングを「業務」にする
デブリーフィングとは、つらい出来事のあとに行う振り返りの対話です。カスハラの現場では、終業前の10分などを使って、チームで短く行うのがおすすめです。ルールはシンプルにします。
一人一言、「今日いちばん心が動いた対応」を話す
うまく話せなくてかまいません。「今日はちょっとしんどかった」の一言でも十分です。話したくない日は「パス」と言える約束にします。
聞く人は、アドバイスより先に受けとめる
「こうすればよかったのに」は、受けとめたあとで、本人が求めたときだけにします。「それはきつかったね」「私も似たことがあった」という共感の一言が、何よりの支えになります。
個人の反省会ではなく、仕組みの改善につなげる
「この種類の要求には、最初からSVが入る」「この時間を超えたら打ち切りを検討する」など、出てきた話を対応のルールの見直しにつなげます。個人の頑張りで終わらせないことが、チーム全体を守ります。
デブリーフィングは、アドラー心理学でいう共同体感覚を育てる場でもあります。「自分はこのチームの一員で、仲間がいる」という感覚は、理不尽な言葉にさらされる仕事で、心を支える大きな力になります。
「守られている」と感じられる職場へ|自尊心≒自己存在感を支える仕組み
自己肯定感の「6つの感」を一本の木にたとえると、カスハラによっていちばん揺らぐのは、木の根にあたる「自尊心≒自己存在感」です。自尊心≒自己存在感とは、「自分はここにいていい」「自分には価値がある」という、すべての土台となる感覚です。
人格を否定する言葉や、「おまえの代わりなんていくらでもいる」といった言葉を浴び続けると、この根が少しずつ傷んでいきます。根が傷むと、幹にあたる自己受容感(ありのままの自分を受け入れる感覚)や、枝にあたる自己効力感(自分にはできるという感覚)も揺らぎ、「どうせ私なんて」「この仕事に向いていない」という思いが強くなっていきます。
根を守るのは、個人の努力だけではない
自尊心≒自己存在感は、自分ひとりで育てるものではなく、「大切に扱われている」という経験の中で育ちます。だからこそ、組織の仕組みが大きな意味を持ちます。現場で取り入れられている取り組みの例を挙げます。
- どこからを「対応を打ち切ってよい言動」とするか、基準を文書で示す
- 一定の時間や回数を超えたら、担当を交代したりSVが代わったりする
- 担当者を一人にせず、複数で対応する体制をつくる
- 名札の表記を工夫するなど、担当者の個人情報を守る
- つらい対応のあとに、短い休憩をとってよいことを明確にする
- カスハラの報告を「評価を下げる材料」にしないことを明言する
こうした仕組みは、手順として役立つだけではありません。「この職場は、自分を守ろうとしてくれている」というメッセージとして、働く人の根を支えます。その安心感があってはじめて、人は自分の感情を言葉にする余裕を持てるのです。
あなた自身ができる、根の手当て
一日の終わりに、「今日の私が、誰かの役に立てたこと」を一つだけ思い出してみてください。理不尽な一件の陰には、「ありがとう、助かりました」と言ってくれた顧客がいたかもしれません。アドラー心理学では、人は貢献感、つまり「自分は誰かの役に立っている」と感じられるときに、自分に価値があると思えると考えます。理不尽な一人の言葉に、あなたの一日のすべてを決めさせないでください。
研究者のペネベーカーは、つらい体験について感情を含めて書き出すこと(筆記開示)が、心身の健康によい影響を与えうることを示しました。数日に一度、「今日、心に残った言葉」と「そのときの私の気持ち」を数行書いてみる。それは、職場では言えなかった気持ちを、自分自身が聞きとってあげる時間になります。
中島輝より一言
カウンセリングで、窓口やコールセンターで働く方のお話をうかがうと、多くの方が最初に「私の対応が悪かったのかもしれません」とおっしゃいます。理不尽な言葉を受けた人ほど、自分を責めてしまう。それほど真面目に、誠実に仕事に向き合ってきた方々です。あなたの誠実さは、理不尽な言葉を受け続けてよい理由にはなりません。誠実な人が守られる職場であってほしいと、心から願っています。
管理職の方は、チームの中で気持ちを言葉にしやすい関係をつくるヒントとして、1on1が「業務報告会」で終わる理由もあわせてご覧ください。
よくあるご質問
「いま、私はどう感じている?」
その一言で、心に出口をつくってください。
それが、感情労働の現場で心を守る両輪です。
自分を大切にしよう
カスタマーハラスメントは、あなたの対応力の問題ではありません。厚生労働省のマニュアルや東京都の条例が示すように、社会と組織が向き合うべき課題です。それでも、理不尽な言葉を受けた心の痛みは、ルールだけでは消えません。感情労働を続けるほど、飲み込んだ怒りや恐れは言葉にならないまま心の底にたまり、体の不調や家族へのいらだち、「何も感じない」という状態として表に出てきます。
アドラー心理学の目的論で見れば、相手の怒りはあなたの価値を測るものではなく、相手が何かを得るために使っている道具です。課題の分離で考えれば、相手の怒りを鎮めることはあなたの課題ではなく、働く人を守ることは組織の課題です。電話を切ったあとの5秒、気持ちに一語の名前をつけること、SVへの報告に「気持ち」を一行加えること、チームのデブリーフィングで「今日はしんどかった」と言えること。その小さな言葉の積み重ねが、傷ついた自尊心≒自己存在感の根を守っていきます。
理不尽な言葉を飲み込みながら、今日も誰かのために声を整えてきたあなたは、本当によく頑張っています。その頑張りを、どうか自分を責めることには使わないでください。「今日は怖かった。でも、ちゃんと対応した」。そう自分に言ってあげるだけで十分です。自分を大切にしよう。あなたの価値は、誰かの怒りの言葉で決まるものではありません。
働く人のこころの相談:厚生労働省「こころの耳」
こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556
よりそいホットライン 0120-279-338(24時間)
身の危険を感じるときは、迷わず110番へ。
本記事の参考資料・科学的根拠
- 中島輝『感情を言語化すれば人生はうまくいく 感情迷子さんの本』(近刊)原稿
- 中島輝・自己肯定感アカデミー「アレキシサイミア 感情の鈍麻:失感情」講座資料
- Taylor, G.J., Bagby, R.M., & Parker, J.D.A. (1997). Disorders of Affect Regulation: Alexithymia in Medical and Psychiatric Illness. Cambridge University Press.(邦訳『アレキシサイミア―感情制御の障害と精神・身体疾患』星和書店)
- 厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」(2022年)
- 東京都「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」(2025年4月施行)
- Hochschild, A.R. (1983). The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling. University of California Press.(邦訳『管理される心――感情が商品になるとき』世界思想社)
- Lieberman, M.D. et al. (2007). Putting feelings into words: Affect labeling disrupts amygdala activity in response to affective stimuli. Psychological Science, 18, 421-428.
- Pennebaker, J.W. (1997). Writing about emotional experiences as a therapeutic process. Psychological Science, 8, 162-166.
- アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』
- 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)
- 厚生労働省 働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」

自己肯定感の第一人者である中島 輝と共に、自己肯定感の重要性を多くの人に伝えるために活動中。講師としての登壇経験が多く、自己肯定感をはじめとするセラピー・カウンセリング・コーチングの知識が豊富。メディアサイト「自己肯定感ラボ」を通じ、誰もが輝いて生きていくための情報を発信中。







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