深夜11時。事務所に、一人。
デスクの上に、利用者リストが広がっている。
48名の名前。手書きで、一人ひとりの入所日が書き添えてある。
今月、2つの名前に線が引かれた。
Aさん。入所から3年と4カ月。
毎朝、ナースコールではなく肉声で「おはよう」と手を振ってくれた方。
朝食のお味噌汁が好きで、「今日はなめこ?わかめ?」と聞くのが日課だった。
先週の水曜日、スタッフに見守られて、静かに息を引き取った。
Bさん。入所から5年と1カ月。
将棋が好きで、入所者同士の大会を自分で企画していた方。
日曜日の朝、ご家族全員に囲まれて逝った。
最期の言葉は「ありがとうな」だったと、息子さんが教えてくれた。
スタッフには「お疲れさま。みんなのおかげで、穏やかな最期だったよ」と声をかけた。
ご家族には「最期は本当に穏やかでした。Aさんらしい旅立ちでした」と伝えた。
行政への届け出を済ませ、次の入所者の受け入れ準備を始めた。
そして今。
誰もいない事務所で、一人、リストを見つめている。
線が引かれた名前を、指でなぞる。
何を感じているのか。
悲しいのか。疲れているのか。
何も感じていないのか。
──それすら、わからなくなっている。
介護施設・福祉施設を経営している方。
こんな夜を過ごしたことはありませんか。
中島輝です。
今夜は、誰にも語られてこなかった「経営者のグリーフ」について書きます。

「経営者は強くなければならない」
「スタッフの前で弱みを見せたら、組織が揺らぐ」
「利用者が亡くなるのは、この仕事では避けられないこと」
「いちいち悲しんでいたら、経営なんてできない」
──そう、自分に言い聞かせてきませんでしたか。
何年も、何十年も。
その言葉はあなたを支えてきた。でも同時に、あなたを壊してもいる。
その裏側で何が起きているか、科学は明確に名前をつけています。
「共感疲労」──対人支援職の30-50%が経験する、見えない消耗
📊 共感疲労(Compassion Fatigue)──Figley(1995)
フロリダ州立大学のチャールズ・フィグリー教授が定義。
共感疲労とは──
他者のトラウマや苦しみに繰り返し接触することで起きる、
二次的なトラウマ反応。
主な症状:
・感情の麻痺(「何も感じなくなった」)
・慢性的な疲労感(休んでも回復しない)
・共感能力の低下(「以前のように寄り添えない」)
・離人感(「自分が自分じゃないような感覚」)
対人支援職の30-50%が経験するとされる。
そして──経営者は一般スタッフよりリスクが高い。
なぜなら「組織全体のグリーフ」を一手に引き受けるから。
利用者の死。ご家族の悲嘆。スタッフの動揺と離職。
すべてに対応しながら、自分の感情は後回し。
しかも相談先がない。同業の経営者同士でも「弱音」は吐きにくい。
「経営者は強くなければ」という信念が、SOSを完全に封じ込める。
冒頭の「何を感じているのか、自分でもわからない」──
これは感情の麻痺。共感疲労の典型的な初期症状です。
「何も感じない」のは「強い」からではありません。
感じすぎて、脳がこれ以上のダメージを防ぐために緊急遮断したのです。
ブレーカーが落ちた状態。それが「何も感じない」の正体。
「利用者が亡くなるのは仕事の一部。それで悲しんでいたらプロじゃない」
「経営者なんだから、感情で判断しちゃいけない」
「スタッフのケアはしている。でも自分のケアは必要ない」
──ここが、最も危険な盲点です。
「自分のケアは必要ない」と信じている経営者ほど、
共感疲労のリスクが高い。
なぜなら「自分はケアが必要な状態だ」と認識できないから。
認識できないものは、対処できない。だから蓄積し続ける。
「強い経営者」が壊れるメカニズム
📊 仕事の要求–コントロールモデル(Karasek, 1979)
職業ストレス研究の古典的モデル。
高要求+低コントロール=最もストレスが高い(一般従業員)
高要求+高コントロール=活動的でストレスは中程度(経営者)
理論上、経営者は「自分で決められる」からストレスに強いはず。
しかし──介護・福祉事業の経営者は例外。
なぜなら通常の経営判断に加えて「感情的要求」が桁違いに高いから。
経営判断(コントロール可能):採用、設備投資、制度設計
利用者の死(コントロール不可能):いつ、誰が逝くかは決められない
「決められること」と「決められないこと」を同時に背負い続ける構造。
しかも「決められないこと」の方が、感情的インパクトがはるかに大きい。
この「感情的コントロール不能」が加算されることで、
通常の経営者モデルでは予測できないレベルのストレスが発生する。
ここにアドラーの「課題の分離」が必要になります。
利用者の死は、経営者の課題ではない。
ご家族のケアは、専門スタッフと共有できる。
経営者の課題は──
組織全体が健全に機能する「仕組み」をつくること。
そしてその仕組みの中に「グリーフケア」を組み込むこと。
それをするには、まず経営者自身がグリーフケアを理解している必要がある。
理解するためには、自分自身のグリーフに「気づく」必要がある。
T.Hさんが「経営者のグリーフ」に気づいた日
T.Hさん、54歳。
特別養護老人ホームの理事長。経営15年目。
入所定員80名。スタッフ45名。
講座に来たきっかけは、自分のためではなかった。
スタッフの離職率が上がっていた。
特にベテランの介護福祉士が3人続けて退職した。
「スタッフのメンタルケアを学びたい」──それが動機だった。
講座の冒頭で、私はこう聞きました。
「この15年間で、何人の利用者を見送りましたか?」
T.Hさんは少し考えてから、こう答えた。
「正確な数は……覚えていません」
私は、あえてそれ以上は聞きませんでした。
でもT.Hさんの表情が、一瞬だけ曇ったのは見えた。
講座が進み、「グリーフ」の概念を説明しているとき。
「グリーフとは、大切なものを失ったときに起きる心身の反応。死別だけでなく、日常の喪失すべてに適用される」
T.Hさんの手が、止まった。
ペンを持ったまま、動かない。
そして──小さな声で言った。
「待ってください。
これ──自分のことじゃないですか。
利用者を見送るたびに感じていた、あの感覚。
名前がなかったけど──これ、グリーフだ。
自分もグリーフの中にいたんだ」
15年間、一度も自分のグリーフに気づかなかった。
「仕事の一部」として処理し続けていた。
利用者の名前に線を引くたびに空いていた穴に、
初めて「名前」がついた瞬間だった。
「全員の名前を、覚えていた」
その夜。講座が終わった後。
T.Hさんは自分の施設に帰り、事務所に一人で座った。
利用者リストを開いた。
線が引かれた名前を、最初からたどった。
1人目、2人目、3人目……
全員の顔が浮かんだ。
全員の声が聞こえた。
全員の好きだったものを覚えていた。
T.Hさんは泣いた。15年間で初めて。
事務所の机に突っ伏して、声を殺して泣いた。
翌朝、私にメッセージが届きました。
「先生。昨夜のことを報告させてください。
講座で『何人見送ったか覚えていない』と言いました。
あれは嘘でした。
全員覚えていた。名前も、顔も、声も。
覚えていることが辛いから、
『覚えていない』と自分に嘘をついていた。
15年間、その嘘で自分を守ってきた。
でも昨夜、全員の顔を思い出して泣いたら、
なぜか──朝が軽かったんです。
15年ぶりに、朝が軽かった」
経営者が蓋を開けると、組織が変わる
講座後、T.Hさんは組織に2つの変化を起こしました。

1つ目:利用者を見送った翌日に「振り返りミーティング」を導入。
以前は、利用者が亡くなった翌日は「通常業務」だった。
次の入所者の受け入れ準備。ベッドの清掃。書類の整理。
まるで「なかったこと」のように、日常が再開された。
T.Hさんは、それを変えた。
見送りの翌日、関わったスタッフ全員で30分だけ集まる。
その方との思い出を、自由に語る時間。
泣いてもいい。笑ってもいい。黙っていてもいい。
ただ「なかったこと」にしない。それだけがルール。
2つ目:T.Hさん自身が、月に1回「自分のグリーフ」を言葉にする習慣をつくった。
日記でもいい。信頼できる同業者との会話でもいい。
「経営者だから感じてはいけない」と封じていた感情に、
名前をつける作業を、自分自身に課した。
半年後──何が起きたか
スタッフの離職率が、前年比で半減した。
T.Hさんは言いました。
「振り返りミーティングの30分が、スタッフの表情を変えた。
『ここでは悲しんでいいんだ』という空気が生まれた。
安心して感情を出せる職場──これが心理的安全性なんだと、
体でわかった。
安心できる職場になったから、スタッフが辞めなくなった。
それだけじゃない。新人が『ここで働きたい』と言って来るようになった。
でもいちばん変わったのは──自分だった。
15年間閉じていた蓋を開けたら、
利用者の顔が鮮明に浮かぶようになった。
悲しい。でも、温かい。
この仕事を選んでよかったと、
15年目にして、初めて心から思えた」
経営者のグリーフは、誰がケアするのか
介護事業・福祉事業の経営者の方へ。
利用者のケアは、スタッフがしてくれる。
スタッフのケアは、あなたがしている。
では──
あなたのケアは、誰がしていますか?
「経営者は強くなければならない」──
その信念が、あなた自身のグリーフを封じ込めている。
封じ込めた感情は消えません。
蓄積されて、ある日突然、体や心に症状として現れる。
あるいは「何も感じなくなる」──それが、いちばん危険なサインです。
組織にグリーフケアの文化を根づかせたいなら。
スタッフが安心して働ける職場をつくりたいなら。
まず経営者自身がグリーフケアを学ぶ必要があります。
自分のグリーフに気づけない人が、
スタッフのグリーフに気づけるはずがないから。
T.Hさんのように、「スタッフのために学びに来た」経営者が、
「いちばん救われたのは自分だった」と気づく。
それが、この講座で最も多く起きることです。
あなたの心にも、名前のない穴が空いていませんか。
その穴に名前をつけてあげること。
そこから、すべてが始まります。
仙台講座にもお申込みが続いています。
ピンときた方は、考えるより先に動いてみてくださいね。
迷っているうちに席がなくなったら、もったいないので。
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自己肯定感の第一人者である中島 輝と共に、自己肯定感の重要性を多くの人に伝えるために活動中。講師としての登壇経験が多く、自己肯定感をはじめとするセラピー・カウンセリング・コーチングの知識が豊富。メディアサイト「自己肯定感ラボ」を通じ、誰もが輝いて生きていくための情報を発信中。





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