多くの人が知らない、四十九日や一周忌に“また悲しくなる”本当の理由
大切な人を亡くして、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。そう思っていたのに、四十九日や一周忌が近づくと、また悲しみがぶり返してくる。涙が止まらなくなり、「せっかく前を向きかけたのに、後戻りしてしまったのか」と不安になる——。けれど、知っておいてほしいことがあります。それは「記念日反応」と呼ばれる、ごく自然な心の動きです。節目に悲しみが戻ってくるのは、後戻りではありません。本記事では、その理由と、法要や記念日との向き合い方を、ていねいにお伝えします。
📖 この記事の土台:自己肯定感の6つの感+土壌の安心感
本記事は、中島輝が体系化した「自己肯定感の6つの感+土壌の安心感」をもとに、悲しみと向き合うための手がかりをお伝えします。深い悲しみの底で、これらの感覚が立ち直りの“根”になります。
| 部位 | 感覚 | 意味 |
|---|---|---|
| 🌍 土壌 | 土壌の安心感 | 「この世界は安全だ」と感じられる、心の安全地帯 |
| 🌰 根 | 自尊心 ≒ 自己存在感★ | 「悲しむ自分にも価値がある」── 文部科学省が二〇二二年に正式採用 |
| 🌳 幹 | 自己受容感 | 「ぶり返す自分を、そのまま受け入れていい」 |
| 🌿 枝 | 自己効力感 | 「波が来ても、また歩いていける」 |
| 🍃 葉 | 自己信頼感 | 「自分の悲しみの歩みを、ほかの誰とも比べず信じる」 |
| 🌸 花 | 自己決定感 | 「法要とどう向き合うかを、自分自身で選んでいける」 |
| 🍎 実 | 自己有用感★ | 「いつか同じ痛みを抱えた誰かを支えられる」── 文部科学省が二〇二二年に正式採用 |
💔 もし、あなたが今、こんなふうに感じているなら
- 少し落ち着いたのに、法要が近づくとまた苦しくなる
- 命日や誕生日が近づくと、決まって心が沈む
- 「もう泣かないと思っていたのに」と、戸惑ってしまう
- 後戻りしてしまったようで、自分が情けない
- お盆やお彼岸のたびに、悲しみがよみがえる
- 季節の変わり目に、ふと胸が締めつけられる
- こんなに波があるのは、自分だけではないかと不安になる
ひとつでも当てはまるなら、この記事はあなたのために書きました。その波は、決して後戻りではありません。あなたの心が、自然に働いている証なのです。
この記事でわかること
- こんな方へ
- 少し落ち着いたあとも、法要や命日のたびに悲しみがぶり返し、戸惑っている方
- かかる時間
- 読むのに約16分。実践は、今日から一つずつ
- 得られること
- 「記念日反応」という自然な心の動きの正体と、法要や記念日のたびに訪れる波と、おだやかに向き合うための四つの手立て
大切な人を亡くして、しばらく経つと、激しかった悲しみも、少しずつ落ち着いてくるものです。日常を取り戻し、ふと笑える瞬間も戻ってくる。「ようやく、前を向けてきたかな」——そう感じはじめた矢先に、それは訪れます。
四十九日。一周忌。三回忌。命日や、故人の誕生日。お盆やお彼岸。そうした節目が近づくと、おさまっていたはずの悲しみが、また強くぶり返してくるのです。「どうして、また」と戸惑い、「自分は後戻りしてしまったのか」と落ち込む。けれど、それには、ちゃんとした理由があります。それは「記念日反応」と呼ばれる、ごく自然な心の動きなのです。
「記念日反応」とは何か——節目に悲しみが戻る、自然な現象
「記念日反応」とは、大切な人を亡くした日や、その人にゆかりのある日が近づくと、悲しみや不安、気分の落ち込みが強まる現象のことです。心だけでなく、体の不調としてあらわれることもあります。多くの方が経験する、ごく自然な反応です。
命日や誕生日、結婚記念日、亡くなった季節の到来——。さらに、四十九日や一周忌、三回忌、お盆やお彼岸といった、弔いの節目も、記念日反応のきっかけになります。「もう落ち着いた」と思っていても、こうした日が近づくと、心と体が、自然に反応してしまうのです。
大切なのは、これが「立ち直っていない」ことの証拠ではないということです。むしろ、その人を大切に思い続けているからこそ、節目に心が反応する。記念日反応は、亡き人とのつながりが、いまも生きていることの、あらわれなのです。
記念日反応のあらわれ方は、人によってさまざまです。気分が落ち込む、涙もろくなる、不安が強まる——といった心の反応だけでなく、眠れない、食欲がなくなる、体がだるい、頭が痛い、といった体の不調としてあらわれることもあります。なかには、なぜ自分の調子が悪いのか、本人も気づかないまま、命日や季節の到来と重なっていた、というケースもあります。
もし、毎年決まった時期に体調を崩すという方は、その時期が、故人にゆかりのある日と重なっていないか、振り返ってみてください。理由がわかるだけで、「自分はどこか悪いのではないか」という不安から、解放されることがあります。心と体は、つながっている。記念日反応は、その何よりの証なのです。
なぜ、四十九日や一周忌に悲しみがぶり返すのか
記念日反応が起きるのには、いくつかの理由があります。それを知ると、自分の心の動きに、納得がいくはずです。
心と体が、その時期を「覚えている」から
私たちの心と体は、思っている以上に、時間や季節を覚えています。亡くなったときと同じ季節の風、同じ気温、同じ光の加減——そうした手がかりに触れると、当時の記憶や感情が、自然によみがえってくるのです。頭で思い出そうとしなくても、心と体が、その時期を覚えている。だから、命日や季節がめぐるたびに、悲しみが戻ってくるのです。
法要が、あらためて故人と向き合う時間だから
四十九日や一周忌などの法要は、あらためて故人を悼み、その人と向き合う時間です。日常では忙しさにまぎれていた悲しみが、その時間に、ふっと浮かび上がってくる。これは、ごく自然なことです。むしろ、法要とは、そうして悲しみと向き合うための、大切な機会でもあるのです。
それは「後戻り」ではない——悲しみの波という考え方
記念日反応でいちばんつらいのは、悲しみそのものよりも、「せっかく前を向きかけたのに、後戻りしてしまった」という、落胆かもしれません。けれど、ここではっきりとお伝えします。悲しみがぶり返すのは、後戻りではありません。
立ち直りは、一直線に進むものではありません。悲しみは、波のように寄せては返します。穏やかな日が続いたかと思えば、節目に強くぶり返す。けれど、長い目で見れば、波の間隔は少しずつ長くなり、深さも少しずつ和らいでいく。波が来ること自体は、立ち直りの過程に、ごく自然に含まれているものなのです。
むしろ、波が来るのは、あなたの心が健やかに働いている証です。大切な人を思い出して悲しくなる。それは、その人との絆が、いまも生きているということ。悲しみの波は、消し去るべき敵ではなく、亡き人とつながり続けている、心のしるしなのです。
もう一つ、お伝えしたいことがあります。記念日反応の波は、年を重ねるごとに、少しずつ変化していくということです。最初の一周忌は、まるで昨日のことのように、つらいかもしれません。けれど、三回忌、七回忌とめぐるうちに、悲しみの波は、少しずつおだやかなものに変わっていくことが多いのです。
それは、悲しみが消えるということではありません。むしろ、悲しみとともに、あたたかい思い出を、おだやかに振り返れるようになっていく、ということです。涙だけだった命日が、いつか、故人を懐かしみ、感謝する時間に変わっていく。そんな日が、きっと訪れます。今はその途上にいるのだと、どうか覚えておいてください。
「悲しみのゆれ」は、心を守るしくみ
深い悲しみのなかにいる人をよく見ていると、悲しみに沈む時間と、日常のことに気を向けて少し息をつく時間とを、行ったり来たりしているのが見られます。これは、心が張りつめて壊れてしまわないように、自分を守るための自然なしくみです。記念日に深く悲しむ日があってもいい。その後、また日常に戻っていく。その繰り返しが、健やかな歩みのしるしなのです。
法要は、悲しみを区切るための知恵でもある
四十九日、一周忌、三回忌——こうした法要を、「悲しみを呼び起こすつらいもの」と感じる方もいるかもしれません。けれど、見方を変えると、法要には、もう一つの大切な意味があります。
それは、悲しみに区切りと、ゆるやかな段階を与えてくれるということです。日本に古くから伝わるこうした弔いの習わしは、長い歴史のなかで育まれてきた、遺された人の心を支えるための知恵でもあります。決まった節目で、みんなで集まり、故人を思い、語り合う。その時間が、悲しみを一人で抱え込まないための、支えになってきたのです。
法要は、「ここで悲しみを終わらせなければならない」という締め切りではありません。むしろ、「ここで、あらためて故人を思っていい」という、悲しむことを許された時間です。そう捉え直すと、法要との向き合い方も、少し変わってくるのではないでしょうか。
たとえば、四十九日には「故人が新たな旅立ちを迎える」、一周忌には「一年という大きな節目を区切る」といった意味が、それぞれに込められています。こうした段階が設けられていることで、遺された人は、いきなりすべてを受け入れるのではなく、少しずつ、時間をかけて、別れを受けとめていくことができます。これは、悲しみの心理から見ても、とても理にかなった知恵なのです。
そして、法要には、もう一つ大切な働きがあります。それは、ふだん離れて暮らす家族や親しい人が、一堂に会する機会になるということです。同じ人を悼み、思い出を語り合う。その時間が、「悲しんでいるのは自分だけではない」という安心を与えてくれます。一人で抱え込みがちな悲しみを、分かち合える場——それも、法要が持つ、目に見えない力なのです。
もちろん、宗教や考え方は人それぞれです。法要という形をとらない方もいるでしょう。大切なのは、形式そのものではなく、自分なりのやり方で、故人を思う時間を持つこと。その時間が、あなたの心を、そっと支えてくれます。
今日からできる、法要や記念日と向き合う四つの手立て
記念日反応の波を、無理に消そうとする必要はありません。その波と、おだやかに向き合っていく。そのための、今日から始められる小さな手立てを紹介します。
- 「波が来る」と、前もって知っておく。命日や法要が近づくと悲しみが強まる、と知っておくだけで、いざその波が来たとき、「ああ、これが記念日反応か」と落ち着いて受け止められます。不意打ちでなくなるだけで、心の負担はずいぶん軽くなります。
- その日を、故人を思う時間にする。悲しみを無理に避けるのではなく、いっそ、その日を故人を思う時間にあててみましょう。好きだったものを供える。写真を眺める。思い出を振り返る。悲しみを締め出すより、迎え入れるほうが、心はおだやかになります。
- 無理をせず、自分をいたわる。記念日反応の時期は、心も体も疲れやすくなります。大事な予定を詰め込まない。ゆっくり休む。自分を甘やかしていい時期だと考えてください。波が過ぎるのを、静かに待てばいいのです。
- 誰かと、思い出を分かち合う。一人で抱え込まず、家族や友人と、故人の思い出を語り合ってみましょう。法要は、まさにそのための時間です。みんなで故人を思い出すことが、悲しみをやわらげ、あたたかい時間に変えてくれます。
記念日反応は、毎年めぐってくるかもしれません。けれど、それと向き合うすべを知っていれば、必要以上に怖がることはありません。波が来たら、その波に身をまかせ、故人を思う。そして、波が引いたら、また日常に戻っていく。その繰り返しのなかで、あなたと故人との絆は、おだやかな形で、続いていくのです。
悲しみを「言葉にする」ことの、静かな力
記念日反応の時期に、ぜひ試していただきたいことがあります。それは、悲しみや、故人への思いを、言葉にしてみることです。
胸のなかにある思いは、抱えているだけでは、ぐるぐると渦巻いて、かえって苦しくなることがあります。けれど、それを言葉にすると——誰かに話す、紙に書く、心のなかで故人に語りかける——不思議と、少しだけ整理され、軽くなっていくのです。
「会いたい」「ありがとう」「まだ寂しい」。どんな言葉でもかまいません。うまくまとめようとしなくていいのです。ただ、心のなかにあるものを、外に出してあげる。それだけで、悲しみは、抱え込んでいたときより、ずっとおだやかなものに変わっていきます。命日や法要の日は、そうして故人と「対話」する、よい機会にもなるのです。
大切な人を亡くした人が、記念日に沈んでいるとき
この記事を、「大切な誰かを支えたい」という思いで読んでくださっている方もいるでしょう。声のかけ方について、触れておきます。
記念日や法要の時期に落ち込んでいる人には、その悲しみを、そのまま認める言葉が支えになります。「つらい時期だね」「無理しないでね」——そして、可能なら、一緒に故人を思い出してあげること。「あの人、こんなところがあったね」と、思い出を語り合う。それが、何よりの慰めになります。逆に、「もう一年も経つのに」と急かす言葉は、避けたいものです。記念日に悲しむのは、当然のことなのですから。
少し楽になった人の、小さな共通点
自己肯定感ラボでは、悲しみと向き合う方々の歩みを、長年にわたって見つめてきました。一般財団法人自己肯定感学会が行った独自の調査では、記念日反応とおだやかに向き合えるようになった方々に、いくつかの小さな共通点が見られました。
※調査対象:自己肯定感ラボの講座等の参加者1,800名/調査期間:2023年4月〜2025年3月/調査機関:一般財団法人自己肯定感学会
この四つは、まさに本記事でお伝えしてきたことと重なります。波が来ると知っておくこと。その日を故人を思う時間にすること。後戻りではなく波だと捉えること。誰かと分かち合うこと。どれも、特別なことではありません。けれど、この小さな積み重ねが、記念日反応との向き合いを、少しずつ楽にしていくのです。
同じ悲しみを歩んだ、七つの声
ここでは、記念日反応とともに、節目を過ごしてきた方々の声を紹介します。どの声にも、あなたの心に重なる何かがあるかもしれません。
「記念日反応」と知って、安心できた
四十九日が近づくにつれ、また涙が止まらなくなり、後戻りしたのかと不安でした。でも、それが記念日反応という自然なものだと知り、「自分だけではないんだ」と安心できました。その日は、故人を静かに思う時間にしました。
波が来ると、前もって備えられた
一周忌の前から気持ちが沈むと知っていたので、大事な予定を入れず、ゆっくり過ごすようにしました。前もって備えていたぶん、波が来ても落ち着いて受け止められました。
波の間隔が、少しずつ長くなった
はじめは命日のたびに激しく落ち込んでいましたが、年を重ねるごとに、波の間隔が長くなり、深さも和らいでいきました。悲しみがゼロになるわけではないけれど、それでいいのだと思えています。
みんなで思い出を語り合えた
お盆に家族が集まり、故人の思い出を語り合いました。一人で悲しんでいたときよりも、みんなで思い出すことで、悲しみがあたたかいものに変わっていきました。分かち合うことの大切さを知りました。
体調まで崩れる理由が、わかった
命日が近づくと、決まって体調まで悪くなっていました。それも記念日反応だと知り、自分を責めずにすむようになりました。今は、その時期は無理をしないと、自分で決めています。
好きだったものを供えて、思う
故人の誕生日には、好きだったケーキを供えるようにしています。悲しいけれど、その人を思う大切な時間です。悲しみを避けるのではなく、迎え入れることで、心がおだやかになりました。
季節の節目も、波が来ると知って
家族が集まる年末年始に、いない人の存在を強く感じて、つらくなっていました。季節の節目も記念日反応のきっかけだと知り、心の準備ができるようになりました。
悲しみの底で、あなたを支える「六つの感覚」
記念日反応で悲しみがぶり返すとき、人はつい自分を責めがちです。「また泣いている」「立ち直れていない」と。
そんなとき、心理学が大切にしているのが、「自分を肯定する力」という土台です。記事の冒頭で紹介した「六つの感覚」を、もう一度、記念日反応との向き合いに引きつけて見てみましょう。
たとえば、ぶり返す自分を「そのまま受け入れていい」と思えること(自己受容感)。自分の悲しみの歩みを、ほかの誰とも比べず信じること(自己信頼感)。法要とどう向き合うかを自分で選べること(自己決定感)。そして、いつか同じ痛みを抱えた誰かを支えられると思えること(自己有用感)。どれか一つでも思い出せたとき、ぶり返す悲しみのなかに、小さな足場が生まれます。
節目に悲しくなるのは、後戻りではありません。それは、亡き人との絆が、いまも生きている証です。「また泣いてしまった」と、もう自分を責めなくていいのです。波が来たら、その波とともに故人を思い、波が引いたら、また日常に戻っていく。その繰り返しのすべてが、あなたと故人との、続いていく関係なのですから。
よくある問いに答えます
落ち着いたはずなのに、法要が近づくとまた悲しくなります。おかしいのでしょうか。
おかしくありません。それは「記念日反応」という、ごく自然な現象です。命日や法要などの節目が近づくと、悲しみや不安が強まります。多くの方が経験する、自然な心の動きです。
悲しみがぶり返すのは、後戻りでしょうか。
後戻りではありません。悲しみは波のように寄せては返すもので、節目に強まるのは自然なことです。長い目で見れば、波の間隔は少しずつ長くなり、深さも和らいでいきます。波が来ること自体が、立ち直りの過程に含まれています。
なぜ、命日や季節の変わり目に悲しくなるのですか。
私たちの心と体は、時間や季節を覚えています。亡くなったときと同じ季節の風や光に触れると、当時の記憶や感情が自然によみがえるのです。頭で思い出そうとしなくても、心と体が反応するためです。
悲しみで、体調まで悪くなります。大丈夫でしょうか。
記念日反応は、心だけでなく、体の不調としてあらわれることもあります。眠れない、食欲がない、だるいなど。その時期は無理をせず、自分をいたわってください。ただし、症状が強く長く続く場合は、医療機関にご相談ください。
法要が、悲しみを呼び起こすので、つらいです。
法要は「悲しみを終わらせる締め切り」ではなく、「あらためて故人を思っていい時間」です。悲しみを無理に避けるより、その時間に故人を思い、誰かと分かち合うほうが、かえって心はおだやかになります。
毎年、命日が来るのが怖いです。
「波が来る」と前もって知っておくだけで、不意打ちでなくなり、心の負担は軽くなります。その日は予定を詰め込まず、故人を思う時間にあててみてください。波と向き合うすべを知れば、必要以上に怖がらずにすみます。
何年経っても記念日反応があるのは、普通ですか。
普通のことです。何年経っても、命日や季節がめぐるたびに故人を思うのは、自然な心の営みです。それは、亡き人との絆が、いまも続いている証。無理になくそうとしなくて大丈夫です。
記念日に、どう過ごせばよいかわかりません。
決まった正解はありません。好きだったものを供える、写真を眺める、思い出を振り返る、誰かと語り合う——自分なりのやり方で、故人を思う時間にしてみてください。悲しみを締め出すより、迎え入れるほうが、心はおだやかになります。
家族で、記念日への向き合い方が違ってつらいです。
悲しみ方や向き合い方は、家族でも一人ひとり違います。早く区切りをつけたい人もいれば、ゆっくり悲しみたい人もいる。どちらが正しいということはありません。それぞれの向き合い方を、尊重し合えるとよいでしょう。
どんなときに、専門家に相談すればよいですか。
記念日反応の時期を過ぎても、深い悲しみが和らがず、眠れない・食べられない・暮らしが立ち行かないといった状態が続くときは、一人で抱えず、専門の窓口や医療機関にご相談ください。早めに頼ることは、弱さではありません。
❗ 重要:専門家への相談について
本記事は、悲しみと向き合うための一般的な考え方をお伝えするものであり、医療行為や診断に代わるものではありません。深い悲しみが長く続き、強い不眠・食欲不振・気力の低下などが二週間以上続く場合や、つらさに一人で耐えられないと感じる場合は、心療内科・精神科などの医療機関や、お住まいの地域の相談窓口へご相談ください。「よりそいホットライン」(24時間・通話無料)など、いつでも話を聴いてくれる窓口もあります。

自己肯定感の第一人者である中島 輝と共に、自己肯定感の重要性を多くの人に伝えるために活動中。講師としての登壇経験が多く、自己肯定感をはじめとするセラピー・カウンセリング・コーチングの知識が豊富。メディアサイト「自己肯定感ラボ」を通じ、誰もが輝いて生きていくための情報を発信中。





コメント